季刊誌東京荒野
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猫のまこちゃんを膝に乗せ撫でているとたまに噛まれる。そんな時の俺は必ず気を抜いて撫でている。てめぇ、適当に触んなこらァということか。ちんすこうりなさんは正しい。「心に触れるように体に触れて(女の子のためのセックス)」

(写真はチロ)


高円寺に行き、寛さんから第11号の原稿をいただく。無力無善寺。この日ライブに出ていた受容さんは、僕の故郷に今も住まわれてる方で、その受容さんのライブを見、受容さんが僕の故郷の表現者であることを心から誇りに思った。

「愛、愛、」と叫びながら袋から湯たんぽを取り出す受容さん。子供用の傘、おもちゃのキーボード。ガラガラ、小さな茶碗、ニコちゃんマークのコート、風呂に浮かべるアヒルのおもちゃ。受容さんが言わんとしていることとは多分違うが、確かにどれも愛だった。子供用の傘を都合4本広げて「愛」と叫ぶ受容さん。前方が見えるよう透明な切れ目が入っているその傘は、また不意に降る雨から身を守るその傘は、涙が出るほど愛だった。


脳みそが中途半端に夢見がちなので、引っ越しの時には事故ってしまったし、事故ってしまったことを通して、あぁ俺はなんと目ではなく感覚で生きているのだろう(ハイエースに対してハンドルを切るのが早すぎた)とも思い、以来意識して目で生きようと頑張っていますが、しかし意識していないとすぐまた感覚で生きてしまいがちで、事故発生時刻11時25分。これがもし彼女の兄の誕生日11月25日をさしていたなら、俺たちはなんと不思議な世の中に生きているのだろうと思いますし、その不思議な世の中を、全身で生きていきたいと思っています。



日頃印刷機と戯れ1日を過ごしている身としては、機械も季節の変わり目には体調を崩すと知っているし、夏には夏の、冬には冬の設定に調教してやる必要があるのもわかっていて、では機械とは何かと考え、1つには人間と違って躊躇いがない、よって処理が早い、そしてAIなどというものが騒がれる昨今、多分俺の動き、俺の視点、俺の判断をプログラムに覚え込ませれば、俺の代わりを機械がすることなど昼飯前くらいにはできるだろうと思う。そしてそれは物を書くにしてもそうだし、雑誌を作るにしてもそうだ。では俺とはなんだ、俺が俺たる所以はどこにあるんだと考え、この問題はたやすく答えが出るものではないなぁ、つかこれがわかったら文学賞とれんじゃないかなぁと思いながら、ふと印刷機から出てきた野口の性に、小学校1年生、 帰りの会の後の雑巾がけの途中、ふいに立ち上がって真顔で俺に「まさやすくん、俺と一生友達でいてね」と言った彼の顔を思い出した。


三連休をいいことに荒川まで走り、空、川、街。地面に寝転んで草と土の匂いを嗅ぎ、緑が日の光に光っていることや、川から磯くさいにおいが漂ってくること、蚊や蜂がうるさく飛び回っていること。俺はこういうことを確認したくて東十条に来たんだなと思いました。彼女に手を上げてしまった友人曰く、俺は俺のことを舐めていたよ。自分のこと、街のこと、草や木のこと。確認中です。

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